継続を力にできるか?。。。
・ずうっと、ぼくは、「飽きる」ということについて、
飽きずに考えつづけています。
どんなに素晴しいものごとでも、「飽きる」のです。
どれほど大事な問題でも、「飽きる」のです。
これだけは「飽きる」ことが許されない、
と考えられるようなことでも、「飽きる」のです。
倫理として「飽きるな」ということは言えても、
事実「飽きる」ことを防げはしないのです。
こういうことを言うと、
「おまえはいいかげんな人間だから、そう言うんだ」
と、人間理解の浅瀬で水泳しているような人が、
文句を言ってきたりします。
まったくちがいますって。
「飽きる」ぼくが、いいかげんな人間なんじゃなくて、
人間には「飽きる」が組み込まれているんです。
だから、飽きては困るようなことがあったら、
なんとか続けたくなるように、
いろいろな工夫をしなきゃならないんです。
よく、傑出したスポーツ選手なんかが引退後に、
「継続は力なり」というような発言をします。
続けられないんです、ふつうは。
「飽きる」じぶんと、折り合いをつけた人だけが、
継続できるんですよね。
まずは「飽きる」、どうしたらいいか考え実行する、
また「飽きる」、じぶんに罰やほうびを与える、
またまた「飽きる」、新しいたのしみを見つける、
そしてまた「飽きる」、なんとかする‥‥のくり返し。
長い長いサイクルで、これが繰りかえされる。
それができた人が、たぶん継続の力を感じられた人です。
「忘れない」と言ったことが忘れられていきます。
飽きてはいけないことが、飽きられていきます。
まず、それは、とても自然なことだと認めてしまう。
その上で、「それじゃぁ困るわけだからさ」と、
言い方は悪いかもしれないけれど、
「おもしろくする」工夫が必要なんじゃないかなぁ。
「がまん」やら「しぶしぶ」やらも薬味にしながら、
ふつうの「飽きる」人々が、継続を力にできるか?
(2012年11月30日_ほぼ日刊イトイ新聞_今日のダーリンより)