あまちゃんと震災とクドカン。。。

いよいよ「あまちゃん」で震災が扱われました、、、
おそらくこの作品のスタッフ達は、
ドラマの制作に入るまえから十二分に検討された上で、
あの様な形になったのであろうという事が推察できます。
そんなとても配慮された、
あまちゃんらしい」表現であったにも関わらず、
ジオラマはこのためにあったのか!)

それでもやっぱり、
震災をドラマで扱う事に対しては賛否両論あるようです。。。

否定的に思われてる方の考えは確かにそれはそれで正しいとは思うのですが、、、

僕はあまちゃんの脚本を書いた宮藤官九郎さんの、
2013年3月11、12日の日記に書かれている事が全てであると思います。
特に12日の日記がいいです。。。


脚本家クドカンの日記より
http://otonakeikaku.jp/special/special_kudo2013_03.html

(以下、転載)
2013年3月11日(月)
NHKで「あまちゃん」取材日。
分かりきっていた事ですが「震災から2年が経ちましたが今の心境は?」という質問が多かった。
なんだか当たり障りのないことを言いたくなくて、かといって突き放すような発言も違うわけで、
どうしていいか分からなかった。
確かにドラマの舞台は東北なのだが、震災があったから東北なのではない。
自分の書きたいドラマの舞台に最もふさわしい場所がたまたま岩手県の北三陸地方だったのです。そのことを震災に関するコメントを欲しがっている記者さんにどう説明すれば良いのか。
ものすごく消耗した。
もちろん3月11日のことを教訓として忘れてはいけない。
当たり前だ。
未だ復興したとは言えない状況だし、
そんな東北の皆さんに少しでも元気になって欲しいという思いは人並みにあるつもり。
でも、そればっかりを考えて156話のドラマを書いているわけではない。
逆にそればっかりを考えていたら重苦しいドラマを書いてしまいそうだ。
少なくとも朝ドラの書き手として、俺はそれを望まれてはいないと思う。
そもそも東北の人々がみな「震災のドラマ」を見たがっているのでしょうか。
ドラマはフィクションなんだし、忘れたり思い出したり笑い飛ばしたりしんみりしたり元気出したりで良いんじゃないですか?とか言うと不謹慎なのかな。
みんな同じ思いで同じ方角を向いて頑張るのはもちろん大切だと思う。
でも、その温度を時と場所を関係なく他人にも要求するようなムードには、
どうしても違和感を覚えてしまうのです。
あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。
お茶の間の皆さんが愛着を持って見守って来たキャラクター達が、その時を経て何を感じ、どう変わるかは、ちゃんと描くことになると思います。

2013年3月12日(火)
昨日、娘が学校で誰かに「3月11日はあんまり笑っちゃいけないんだよ」と言われたそうだ。
まあ子供の言うことだから仕方ないんだけど、それは違うよ、と言いました。
笑わないことが追悼ではない。だったら365日笑っちゃいけないはずだ。
むしろ亡くなった人の分も笑ったり泣いたり喜んだり悲しんだりしながら生きるのが供養なんじゃないかなと思います。