「ダサいくらいなんだよ、がまんしろよ!」。。。
毎日見ている『あまちゃん』ですが、
いまでも、よく思い出すセリフがあります。
主人公のアキちゃんが、親友のユイちゃんに
それまでにない強さで言うことばです。
「ダサいくらいなんだよ、がまんしろよ!」
このセリフが飛び出してくる背景について、
あるいは状況について語ることは、あえて省略します。
このすごいセリフの、すごみの本体は、
「がまんしろよ!」にあるのだと思います。
がまんしろって‥‥なにをと言えば、
なにか「いやなことを」です。
うれしいことたのしいことについては言いません。
この場合は、「ダサい」ということをです。
さらに言えば、最近「がまんしろよ!」ということば、
どこかで聞いたことありますか?
予防注射するときだって、言わないですよね。
「がまん」はしないで、
根本的なしくみを直しましょうというのが、
いまどきの考え方です。
でも、アキちゃんは「がまんしろよ!」と言います。
それを、力強く言うことでなにが見えてくるかというと、
「ダサいということが、それほどいけないことなのか?」
という思ってもみなかった問題が浮かびあがるのです。
「ダサいかダサくないか」って、
そんなに大事なことじゃないだろう?
最初から、「ダサい」とわかっていたのは、
アキちゃんのほうでしたしね。
それでも、ダサいかどうかなんてことを超えた価値を、
見つけてきたはずじゃなかったのか?
アキちゃんは、そう怒鳴ったのでした。
この「ダサい」の部分に、いろんなことばを当てはめて、
考え直したくなります。
「○○○○くらいなんだよ、がまんしろよ!」
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほんとに大事なことは、そんなことじゃない」んだよね。
(2013年8月13日_ほぼ日刊イトイ新聞_今日のダーリンより)