生きるのに不利になる。。。

・こう、なんつーか、人が人をおおいに嫌ったり、
 組織が組織を嫌ったりすること、よくあるじゃない。
 
 どうしてだろう、と、何度も考えたよ。
 仲間うちでは、穏やかないい人だったり、
 親切だの優しいだのと言われている人が、
 誰かのことをひどく罵ったりもすることがあるよね。
 見ず知らずの人間のことを、ぼろくそに言ったり、
 「大嫌い」と宣言したりすることもある。
 
 なんでなんだろうと考えてみたら、
 こういう法則が成り立つかも、と考えた。
 「この人をよしとする世の中ならば、
  わたしが生きるのに不利になる」
 そういうことを思ったときに、人は嫌うんじゃないか。
 
 軽い例としては、スポーツの贔屓のチームがあって、
 敵チームの選手や、敵チームの応援する人への感情。
 「あいつのせいで敗けた」なんてとき、
 ものすごくそいつを嫌ったりするよねー。
 そのことの子どもっぽさはわかっていても、
 そこで感情的になることは、いくらでもある。

 酒場で、政治の話と宗教の話はタブーだと言われるけど、
 酒を飲んで感情が露になりやすい場面で、
 「おまえの考えが善(正しい・強い)なら、
 おれは生きにくくなる」と感じたら、
 必死になってケンカする人だって出てきかねないものね。
 
 そういうふうに無意識の「有利・不利」判定が、
 無意識の好悪と結びついているとしたら、
 弱くて敵になりそうもない人は、
 誰からも嫌われにくいということになるよね。
 ネットのなかでも、現実の社会でも
 あちこちで悪罵の投げつけ合いがあるけれど、
 つまりそれは「あちらが立つなら、こちらが立たぬ」
 という意味なんだ、と思ってみたほうがわかりやすい。
 ぼく自身も、嫌ったり嫌われたり、さんざんあるけれど、
 そういうことなんだよなぁ、と最近は思っているんだ。
 とにかく、みんなに好かれることは、絶対にありえない。
(2013年7月20日_ぼぼ日刊イトイ新聞_今日のダーリンより)