まちがっている、ということもないけれど。。。

ガリレオが「それでも地球は回っている」と言った
 という説があります。
 それが史実であるかどうか知りませんが、
 天動説の時代に、地動説を唱えていたガリレオは、
 正しいことを言っていたがゆえに迫害されたという話は、
 けっこうみんなの好きな物語です。

 「世間のあらかたの人びとの目がふさがれていて、
  一部の正しい人の正しい考えが一笑に付される。
  あるいは、迫害を受けたり抹殺されたりする」
 というふうな考えは、胸をわくわくさせてくれます。
 ぼくも、どちらかといえば、そっちが好きでした。
 「世の中のほとんどの人は、わかっちゃいなくて、
  ほんとに一部の敏感な人だけが知っていることがある」
 って、ちょっとねじれたエリート主義ですが、
 であるがゆえに、妙に魅力のある考えなんですよね。
 
 やがて、「地動説」以外にも、
 その時代に、その世界で認められなかった考えは、
 無数にあったということに気づきます。
 ガリレオ自身だって、いっぱい誤っていたらしいし、
 守るも攻めるも「とんでもない説」が山ほどあった。

 少数意見はまちがっている、ということもないけれど、
 受けいれられないほうこそ正しいなんてこともない。
 それだけのことなのですが、ぼく自身が、
 若いときには、そういうことを思いたくなかった。
 「それじゃ、このクソおもしろくない世の中は、
  変えられないじゃないか」くらいのことを思っていた。

 「じゃ、どういう世の中がいいんだ」と、
 父親に質問されて、うまく答えられなかったなぁ。
 決まり切った文句を、しどろもどろで並べていたっけ。
 「人に迷惑をかけないようにして、がんばれ」
 というようなことで、話が終った記憶があります。
 なんだか、それが口惜しくてねぇ。
 
 ガリレオの「それでも地球は」の物語は、
 これから先も、魅力ある話として語られるんだろうな。
 ぼくも、地球は回ってるんじゃないかと思ってますが。

(2013年7月18日_ほぼ日刊イトイ新聞_今日のダーリンより)