率直にじぶんのままでいる人。。。

・人が人を選ぶというような場面は、
 世の中にいくらでもあります。
 恋だの愛だののお相手を選ぶことも、そうだし、
 この会社に入ってもらおうかどうしようか、
 というような場合もそうだし、
 賞をもらうとか、賞を与えるということもそうですよね。
 
 選ぶ側も、選ばれる側も、
 どちらも、なかなかの苦労があるはずです。
 選ばれる側の、最大の苦しさは、
 「選ばれるための基準がわからない」ことでしょう。
 選ぶ側の持っている基準については、
 選ばれる側の人びとは、想像するしかないのです。
 
 賞などの場合には、選考の過程とか授賞理由とかを、
 発表することもあったりしますが、
 それでも、それは結果がでてからのことです。
 
 「選ぶ、選ばれる」ということについて、
 ぼくも考えることがよくあるのですが、
 ついに、ひとつわかったんですよ。

 「いざ、選ぶ」という場面を前にして、
 ああしたほうがいいとか、こうするべきだとか、
 直前の作戦やらがんばりやらは、
 ほんとうは、無駄なのではないでしょうか?

 選ぶ側の基準に合わせて、
 じぶんをよく見せるようにしても、
 それは「付け焼き刃」、悪く言えばウソですから、
 相手側の望むものの正反対になるのではないか?
 「率直にじぶんのままでいる人」が、
 選ぶ側の(無意識かもしれない)基準に合ったら、
 それは選ばれることになりますが、
 「選ばれようとして調整されたじぶん」
 選ばれてしまうのは、互いにとっていいことなのか。
 そんなことを、いまさらながら発見したのです。
 
 「選ばれること」って、ほんとは目的じゃないはずです。
 選び選ばれた先で、互いが喜べることが大事ですよねー。

(2013年02月11日_ほぼ日刊イトイ新聞 _今日のダーリンより)