「できることをしよう。」ということば。。。

 「できることをしよう。」ということばは、
 『できることをしよう。ぼくらが震災後に考えたこと』
 という本のタイトルにもなりましたが、
 いまごろになっても、ぼく自身のがなにか考えるときの、
 ひとつの「モノサシ」みたいになっています。
 
 「できることをしよう。」とは、
 「できること+しよう」です。
 また、「できること」は「できないこと」ともちがうし、
 「できそうなこと」でも、
 「やりたいこと」でもありません。
 こうは言うものの、ぼくだって、
 「できること」を考えたり探したりするのを、
 得意だと思っているわけじゃありません。

 できるのできないのを考えることもなしに、
 人々が「やったほうがいい」とか「やるべきだ」とか
 言いそうなことに手を出して、
 始末のつけようがなくなることもあります。
 ひとりの人間として、謙虚に、
 なにが「できること」なのかを探すことは、
 じぶんの力を正確に見通そうとすることでもあるので、
 けっこう楽じゃないし真剣さが必要になるのです。
 
 「あ、これはできる」と気づいたときには、
 小さいことでも、ちょっと明るくなれるように思います。
 「あ、」の光が灯ったという感じです。
 そして、いつでもたくさんの人が「できること」を
 見つけられているとはかぎりません。
 大変なことが起こったばかりのときや、
 事実について勉強できなかった時期には、
 ただただ半鐘を鳴らして大声を出していれば、
 それが「できること」に思えて満足できたかもしれない。
 でも、いまは、そういうときじゃないということを、
 たいていの人たちは、よく知っています。
 
 どっちの方向に、どんな希望を目印に進みたいのか。
 それを感じながらでないと「できること」を探すのは、
 なかなかむつかしいんですよね。
 さぁ、いまがとても大事な時期だという気がしています。

ほぼ日刊イトイ新聞_2012年7月15日_今日のダーリンより)