いわゆるもうひとつのエヴァ:Qのはなし。。。

自分が定期的に読んでる映画批評メルマガ。。。
今回はコレ、

映画批評と物語構成論0297
 『ヱヴァ:Q』
http://archive.mag2.com/0000234153/index.html

某氏や某氏の感想とはまた違う視点であり、
特撮博物館との関係性にまで言及しているのが、
コレはコレで興味ふかいです。

更に、、、

>「ダレ場」が中盤にドテンとあるのは押井アニメと同じですが、
>ダレ場が、 物語上の展開としてクライマックスに有機的に繋がっていくのですから、
>エンターテインメントとして押井アニメよりも上等です。

これにウケました、、、w

押井作品にしてもよく映画のちょうど真ん中に、
「何も状況が動かない」
ダレ場を作って混乱した観客の頭を一旦整理させると共に、
比較的「作画の楽な手抜きシーン」を入れる事で作品全体の作業量のバランスを取っている訳ですから、、、w

カントクの狙い(表面と裏の両方)がよくわからないという意見があるみたいですが、
あくまで個人的な考えで補足しますと、、、w
(件の評論メルマガではネタばれにならない程度にしか説明されていませんが、)
まずCGのピアノにする事で前半の戦闘シーンの作画に割いた映画全体の労働力のバランスを取っている事。
(これはすなわち悪くいえば、映画全体の為に「省力化による手抜きシーンにする事が大前提」ですw)

「なんでピアノである必要があったのか?」
は先にも述べたように、
「3DCGでピアノの鍵盤や内部機構を描写するのが容易で手抜き向きだから(笑)」というのと、
シンジくんお得意のチェロで息を合わせるよりも、
一般的により馴染みのあるピアノで隣り合わせて演奏させる方が、
「二人の呼吸が段々と合ってゆく」
というのを一般観客に理解させ易いし、
何より、
「カヲルくんと手と手が触れ合う胸キュンシーンが演出できるので」
腐女子ファンへのサービスにもなりますしw、
次にピアノのメロディは「生理的に気持ちがいい」ので、
(ガンガン動く作画のアクションカットが「生理的に心地がよいのと同じ」で)
「たとえ手抜きでも観客にあまりストレスになりませんw」。。。

これは延々とシンジとカヲルの演奏シーンを続けて二人の息が合っていくのを見せる事で、
二人乗りの「ダブルエントリーのエヴァ」という「突然出てきた新設定」を観客に納得させつつ、
二人によるシンクロに説得力を持たせるという「演出的な狙い」があるようにも思いました。
何故ならクライマックスには同じ空間で二人隣り合わせに芝居をさせる必要がどうしてもあったので、
そこへ向けての必要な「演出的な段取り」でもあった訳です。

ものすごく短期間に息が合って行くように見えますが、
あの空間は「元々時間経過を感じさせないように意図的に作られている」し、
新設定のエヴァの呪い」によって、
彼らには「時間経過はあまり意味がない」のでその辺りは曖昧だし、
それにカヲルがシンクロ率を自在にコントロール出来るのは既に旧シリーズでも描写されているし、
このシーン自体は旧シリーズでアスカとシンジが使徒と戦う為にダンスによるユニゾンのトレーニングをしたのを形を変えて行っているともいえます。。。w

それと新しいシーンの為の楽曲をたくさん作らせておくと、
エヴァの音楽の売り上げや二次使用量はキングレコード的にバカにならないから(笑)
という更に「身も蓋もない大人の事情」もある筈です。。。www

パッと思いつく限りではこんなところでしょうか?
他にもあるかも知れませんが?w