キラキラは30歳までね。。。

・「少年っぽい」という「ほめことば」があります。
 こう言われることを、
 よろこぶ人もいるかもしれないですが、
 それも、せめて30歳までじゃないかと思います。
 
 少年のようだと思われている瑞々しい感性も、
 少年のようだということになっている純粋な心も、
 実はおとなの男は、冷凍庫にしまってあります。

 しまいこまないで出しておけばいい、と
 思われるかもしれませんが、そうはいかない。
 下唇を血が出るほど噛みしめ、
 わなわな震えているような心のままでは、
 じぶんが生きていけないだけではなく、
 他の誰かの食いものを取りに行くこともできません。
 生きていくということは、すり傷切り傷、打撲に打身、
 できものに腹痛、風邪に頭痛‥‥ひっきりなしですから。
 「んなものは、へっちゃらだ」というような強がりや、
 笑われるような鈍感さへの修練が必要なのです。
 
 このごろの女性なら膝を打ってくれるかもしれませんが、
 おとなになって、じぶんの足で立つということは、
 「おやじの技術」を身につけることでもあります。
 だからって、無礼とか傲岸になるのとはちがいます。
 じぶんのなかの感じ過ぎる心を、
 「ああ、これは感じすぎている」と知って生きること。
 純粋さをコントロールすることだと思うのです。
 
 それなりの年齢になっても
 「少年っぽい」と言われることは、
 心の震えが見透かされているということでもあります。
 まだまだ、誰かに「つかまり立ち」していたいんだな、
 というふうに見えているのだと思うのです。
 いや、そのほうが母性をくすぐるから、と、
 計算づくで「少年っぽい」のまま
 生きようとする人もいるだろうけれど、
 ぼくは、それはほめられたことじゃないと思う。
 考えようによっては、「ロックだね」とかっていうのも、
 似ているような気がするんですけどね。
 少年の活躍の場は、ひとりのときにこそ、あるんだよ。

ほぼ日刊イトイ新聞/2012年5月10日/今日のダーリンより)